大判例

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東京高等裁判所 平成3年(ネ)1023号 判決

控訴人

三井海上火災保険株式会社

右代表者代表取締役

松方康

右訴訟代理人弁護士

田川俊一

平田大器

右弁護士田川訴訟復代理人弁護士

北新居良雄

被控訴人

興恵汽船株式会社

(「被控訴人会社」という。)

右代表者代表取締役

野口政造

被控訴人(原審参加人)

竜ケ岳町農業協同組合

(「被控訴人組合」という。)

右代表者理事

尾上一

右訴訟代理人弁護士

山下豊二

根岸隆

被控訴人(原審参加人)

熊本県農業信用基金協会

(「被控訴人協会」という。)

右代表者理事

宗像良造

右訴訟代理人弁護士

久利雅宣

主文

一  原判決中、被控訴人組合及び被控訴人協会の参加請求を認容した部分を取り消す。

二  被控訴人組合及び被控訴人協会の参加請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人らの負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

主文同旨

二被控訴人組合及び被控訴人協会

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二事案の概要

一本件の事案の概要は、原判決記載のとおりである。

二争点に関する当事者の主張を敷衍すれば次のとおりである。

1  故意海難について

(控訴人)

本件事故は、船舶保険普通保険約款(以下「約款」という。)三条六号に定める「保険契約者の代理人の故意」及び同条七号に定める「船長、乗組員の故意」によって生じた事故に該当する。

本件事故は、なち丸の乗組員がキングストンバルブ(船底の海水取水口)及びそれに接続しているパイプ系統に人為的な操作をして、キングストンバルブから海水を機関室に浸入・充満させ、沈没するに至らしめたものである。そして、事故当時、なち丸の船長野口政志は保険契約者である被控訴人会社の取締役であり、一等機関士野口勝己は被控訴人会社の代表取締役であって、約款上、保険契約者の代理人に当たる。

本件事故が右のような人為的原因によるものであることは、海上保安部の本船沈没前の船底調査によると船底に何ら損傷がなく船底海水取水口からの入水が確認されていること、当時主機及び補機ともに停止しており、船内に海水を吸引するポンプの作動はなかったのであるから、乗組員がパイプ系統(船底弁、接続パイプ、ストレーナー等)などに工作し、海水を機関室内に導いたと認めるほかはないこと、当時、被控訴人会社は、多額の借入金の返済を迫られており、保険金目的の故意沈没をはかる十分な経済的動機があったこと、乗組員は容易にできる排水措置をとらずに早期に全員が退船したこと、事故当時、機関部当直者であった勝己一等機関士及び船橋当直者であった政志船長らは、沈没原因など沈没に至る経緯につき事実に反する極めて不自然な主張(フライホイールが水を巻き上げるという事実は、破口の面積、浸水時間、フライホイールの下端までの機関室の容積等からみてあり得ないことである。)をしていること、被控訴人らが沈没原因と主張するスラミング(波による船底強打)については、当時の気象・海象や船の喫水・進路・速力等からこれが発生する条件になかったことなどの事実に照らし明らかである。

(被控訴人ら)

なち丸の船底衝撃の原因については、スラミングにより、機関室の船底外板、シーチェスト、パイプライン、パイプライン接合部、キングストン弁筐蓋取付ボルト、スタンチューブのグランドパッキング付近等のいずれか若しくは数個の箇所に亀裂又は損傷を被り、そこから浸水を起こし、加えて機関室前方の船倉内に沈降集中していた多量のビルジ(船底に溜まった水)が、船底衝撃により生じた横置隔壁(バルクヘッド)の下部の損壊部分より一挙に機関室に流入し、フライホイールの水巻き上げとなり、主機関が停止し、停電となり、船は停電と同時に操舵能力を失い、その後、機関室が海水で満水となり沈没するに至ったのである。

当時、本件事故海域には、それぞれ方向を異にする波浪、うねり、潮流、海流が不規則波を形成し、午前三時ころは深い気圧の谷が事故地点を通過しつつあったもので、スラミングの極めて発生しやすい状況にあった。室戸岬の風速記録紙は、午前三時前後においては、北北東の風、毎秒一四メートルないし一五メートルの風力七の強風を記録し、最大瞬間風速は17.1メートルであり、その地域のみ局地的に異常海象が発生していた。そして、室戸岬沖は、当時、北北東より来襲する約5.5メートルの波と、南東方向より押し寄せる約二メートルのうねりと、東進する約二ノットの黒潮暖流と、北東進し紀伊水道に流入する潮流が複雑に合成していたものであり、全く方向を異にした四つの流れが衝突するとき、のこぎり状に盛り上がり現象(三角波)が往々にして発生する条件を備えていた。

本件事故は、雨による視界不良、最大風速毎秒一四メートルの荒天の暗夜、付近に一隻の航行船もおらず、スラミングの発生するような波浪海象(有義波高四メートル、最大波高7.76メートルであり、干渉波高は一一メートルを超える可能性を否定できない。)のなかで起きたものであり、このような条件下で自傷海難を企てたと考えるのは空想空理の域を出ない。現に、退船の際、乗組員が投下した膨張式救命筏は高波のためひっくり返り、救命筏に積み込んだオール、薬品、信号灯、発煙筒、布バケツ等もすべて流失し、乗組員は、両手で水をかきながらなち丸からの離脱をはかるという状況であった。

前記のように、本件事故は、スラミングによる船底の亀裂損傷箇所から浸水した多量の海水と船倉のビルジが最も低い機関室内に流入したために起こったものである。船底の前記箇所に亀裂や損傷が突如生ずれば、パイプライン内の海水は、水圧により数メートル上方に猛烈に吹き上がることになる。当時のなち丸は満載状態であり、喫水は船尾4.6メートルで、機関室はほとんど水面下に位置していたから、船底に加わる水圧は海水を機関室天井部まで吹き上げるに十分な力を備えていた。乗組員は、この海水等が吹き上がる状況を目撃しているのである。

本件事故については、神戸海難審判理事所は審判不要処分にし、検察庁も刑法犯として立件していない。

2  不作為による作為について

(控訴人)

何らかの原因で機関室に浸水が始まったとしても、ポンプを作動すれば容易に排水することができたにもかかわらず、船長ら乗組員は、浸水開始後、海上保安部への救助依頼の電話を終わると、何の排水措置もとらず、浸水が始まったことを奇貨とし、沈没すれば保険金が入ることを意図して、いち早く船体を放棄したのであるから、いわゆる不作為による作為に該当し、意図的に沈没させたのと同じである。

(被控訴人ら)

本件事故が、不作為による作為に当たることは否認する。本件事故当時、船倉のビルジが海水とともに何十トンも機関室に流入し、フライホイールが水を天井まで巻き上げ、船内灯は消え、機関も停止し、船は局地的異常海象のなかで縦揺れと横揺れを繰り返していたのであるから、船があと何分で沈没するかは誰にも分からない状況下にあったもので、乗組員らに暗黒の機関室で排水作業にあたることなど期待できず、乗組員らが早期に退船したことは正当な行為というべきである。

3  重過失について

(控訴人)

本件事故は、約款三条六号に定める「保険契約者の代理人の重大な過失」によって生じた事故に該当する。

政志船長及び勝己一等機関士(同人らが保険契約者の代理人に当たることは前記のとおり。)は、午前三時一〇分ころ、衝撃のあったこと及びその後機関室に浸水があったことを知ったのであり、浸水を放置すれば沈没することを容易に認識できたのであるから、浸水の程度の確認、浸水箇所の調査等をし、必要があれば補機をかけてビルジポンプ等の排水装置を作動させるなどの基本的な措置をとるべき義務があったのに、極めて容易にできるこれらの措置を何らとらないまま早期に退船したものであって、重大な過失がある。

なち丸の機関室には、補機によって作動される雑用水ポンプとビルジポンプが設置されていて、排水に利用でき、その排水能力は少なくとも当時の浸水量の二倍以上であり、浸水が始まってから一〇分後にポンプを作動させたとすると、更にその一〇分後には浸水海水はすべて排出されていたものである。

また、勝己一等機関士はフライホイールが激しく海水を巻き上げていたのを発見したとしているが、こうした場合でも、まず補機をかけてポンプを作動させて排水措置をとるのが基本動作であるにもかかわらずポンプを作動させることもなく、早々に退船した。

以上のとおり政志船長及び勝己一等機関士は、わずかな注意を払うことで結果発生を防止することができたにもかかわらず、著しく注意を欠いてその防止行動をとらなかったもので、これは約款三条六号の保険契約者らの代理人の重大な過失に該当する。

(被控訴人ら)

午前三時一〇分ころの船底衝撃の後、まもなくフライホイールの激しい水の巻き上げ、パイプライン等からの海水の噴出、停電の発生、操舵能力の喪失、主機の故障等が次々に起こり、また、当時は夜間であり、本件海域は局地的異常海象から船は縦揺れ、横揺れを繰り返し、いつ沈没するか分からない状況であったから、早期に退船をしたことには過失はない。

政志船長及び勝己一等機関士は、船舶職員法に基づき乗船していたもので、被控訴人会社の機関として乗船していたものではない。したがって、両名の行為を保険契約者の行為と同一視することはできないというべきである。

4  損害の防止軽減義務違反について

(控訴人)

本件事故は、保険契約者の代理人が約款一五条一項に定める損害の防止軽減義務に違反した場合に該当する。

前記のとおり、政志船長及び勝己一等機関士は、浸水に対して、ポンプを作動させ排水作業を行うことにより沈没を防止することが極めて容易にできたにもかかわらず、全く何らの措置をとることなく、浸水を放置し、沈没させたのであるから、保険契約者の代理人として負担している約款一五条の損害防止義務に違反したものである。

(被控訴人ら)

沈没しつつある危急の船舶から退船することは、通常人として当然のことであり、何びとも、生命の危険を冒して保険会社のため損害の防止に努めなければならないなどという義務はない。

なち丸の乗組員が早期に退船したことは、前記のとおり正当な行為であった。

5  船舶安全法違反

(控訴人)

本件事故は、約款四条一、二号の事由がある場合に該当する。

なち丸は、四国南東岸を二〇海里以上離れて航行していたことは明らかであって、本船の航行区域は沿海区域に制限されていたにもかかわらず、近海区域を航行していたことになり、これは船舶安全法違反である。なち丸が臨時に近海区域を航行する場合は、管海官庁の臨時航行検査を受けなければならないところ、これらの手続をとっていない。また、なち丸は約款四条二号にいう「普通航路ではない場所を航行」していたものである。よって、同条一、二号の事由がある。

(被控訴人ら)

なち丸は近海区域は航行していないし、仮に沿海区域をはみ出し近海区域を航行したとしても、近海区域の航行と本件沈没とは何ら因果関係はない。

第三証拠関係〈省略〉

第四判断

一当事者間に争いがない事実及び証拠上確実に認定できる事実

1  本件事故の発生に至る経過

(一) なち丸は、船籍港熊本県天草郡龍ケ岳町、全長49.5メートル、全幅九メートル、総トン数499.03トン、四三年七月進水、航行区域制限沿海区域とする鋼製の汽船で、本件事故当時の所有者名義は小久保汽船有限会社であり、産業廃棄物等の運搬に使用されていた(〈書証番号略〉、原審証人野口政志)。

(二) なち丸は、昭和五九年七月一一日、京浜港川崎区扇島において、フィルターケーキ(鉱炉灰)約一〇〇〇トンを船倉に積み、同日午後〇時二〇分ころ、大分県津久見港に向けて出航した。当時の吃水は船首3.8メートル、船尾は4.68メートルであった(〈書証番号略〉)。

当時のなち丸の乗組員は、船長野口政志、一等機関士野口勝己、機関長野口盛男、甲板員野口孝文、一等航海士石原延之の五名であり、野口政志は、現在の被控訴人会社代表取締役野口政造の弟、野口勝己及び野口孝文は政造の子、野口盛男は政造の甥である(〈書証番号略〉、原審証人野口政志)。

(三) 政志船長は同月一二日午後一一時五〇分ころ、石原一等航海士と当直を交替し船橋において操舵を引き継ぎ、勝己一等機関士は同日午後一一時ころ、盛男機関長と当直を交替して当直勤務についたが、他の三名は、自分の船室で就寝し、あるいは休息していた。このころの天候は、小雨模様で風もあった(〈書証番号略〉)。

(四) 一三日午前三時一〇分ころ、何らかの原因でなち丸の機関室に浸水が始まった。政志船長は、午前三時三八分ないし四〇分ころ、船舶電話で小松島海上保安部に、「高知県室戸岬灯台から東方二〇海里で船首方で大きな音がして浸水したので助けてくれ。」と遭難通報をし、救助を依頼した。その際、小松島海上保安部は、乗組員数五名、船長名ノグチマサル、トン数四九九トン、船主ノグチ等の事項を確認したが、船舶の状況や天候模様は確認できなかった(〈書証番号略〉)。

(五) 午前三時五〇分ころ、政志船長の指示により、乗組員全員が膨張式救命筏に乗り移り、約一時間半余り漂流したのち、高知海上保安部からの依頼により本件海域でなち丸を捜索していたタンカー「ディコスモス」に発見され、同五時三五分ころ全員救助された(〈書証番号略〉)。

午前八時三〇分ころ、田辺海上保安部の巡視船「みなべ」が現場に到着し、乗組員全員はこれに移乗し、午前九時三〇ころ高知海上保安部の巡視船「くま」が現場に到着し、乗組員全員は再度これに移乗した(〈書証番号略〉)。

(六) なち丸は、同日午後〇時一五分ころ、北緯三三度17.05分、東経一三四度50.03分の地点で沈没した。沈没は、船体開口部から機関室に浸水し、機関室が満水となって、船全体の浮力を喪失したことによる(〈書証番号略〉、原審証人佐々木幸康、西山安武)。

2  船底検査

高知海上保安部は、同日午前一〇時二八分ころ、室戸岬灯台から真方位八三度三〇海里付近において、まだ海上を浮遊中であったなち丸の船底を潜水調査することになり、潜水士四名が二名一組となり、それぞれ両舷側船底部を船尾から船首に、また船首から船尾に向かって、潜水調査を実施したところ、海水中の透明度は二〇メートル以上あり、損傷箇所があれば発見できる状況であり、なち丸水面下外板及び船底全般に短く薄い緑色のこけが付着していたが、これにより船底の調査を妨げられる状況にはなかった。そして、その調査の結果、船底に亀裂や浮遊物と接触した痕跡(くぼみ、塗料落ち、擦り疵、その他の一切の痕跡)は認められず、船橋右舷側船底部の海水取水口三個のうち一個について、船内に吸引される圧力が認められた。

また、潜水調査に先立って、午前八時五〇分ころ、なち丸の機関室の浸水状況も見分されたが、浸水状況は右舷へ約三度傾斜状態で主機関最上部の吸排気弁付近まで達しており、吃水は船首部で3.60メートル、船尾部は吃水表示部が水没している状態であった(〈書証番号略〉)。

3  浸水速度、破口面積

なち丸は午前三時一〇分に浸水が開始して午後〇時一五分に沈没しているが、その間九時間五分の時間が経過しており、右時間で機関室が満水となるには、なち丸の機関室の浸水実容積は約一五〇ないし一六〇立方メートルであるから、右容積を一五〇立方メートルとすると破口面積は約一六平方センチメートル、同容積を一六〇立方メートルとすると破口面積は約一七平方センチメートルとなることが認められる。そして、破口面積を一七平方センチメートルとすると、初期の一〇分間は水頭圧の変化を無視することができるから、浸水開始後の一〇分間の浸水量は約5.9立方メートルとなる(〈書証番号略〉、原審証人西山安武)。

〈書証番号略〉では破口面積は2.7ないし4.08平方メートルとするが、水頭圧が正しく考慮されておらず、〈書証番号略〉、原審証人西山安武の証言に対比すると採用できない。

4  排水設備、能力

なち丸に備え付けられた排水設備には雑用水ポンプとビルジポンプがあり、これらは主機が停止した時は補機(発電機)により作動するが、排水能力は、雑用水ポンプが毎時三九トンで、ビルジポンプが毎時九〇トンであり、双方を合わせると一時間で約一二九トン、一〇分間で約21.5トンの排水をすることができる。海水の比重を1.025とすると、前記破口面積一七平方センチメートルからの一〇分間の流入海水量は5.9立方メートル、約六トンとなり、仮に右両ポンプの排水能力を七〇パーセントとみても、一〇分間で約一五トンの排水能力があるから、浸水開始から一〇分後に排水を始めれば、その一〇分後には、前記破口から浸水した海水をほとんど排除することができたはずであり、少なくとも計算上は、浸水に対し十分な対応が可能であり、沈没を防ぐことができたと推認される(〈書証番号略〉、原審証人山本周一、弁論の全趣旨)。

二争点に関連する基本的事実関係

1  スラミングについて

被控訴人らは、本件事故当時、本件海域には局地的異常気象、海象が生じており、なち丸の船底衝撃は三角波のスラミングによるものであると主張するので、この点について検討する。

(一) 〈書証番号略〉、当審証人久保田季廣の証言によると、海事補佐人久保田季廣は、本件事故当時の本件海域における気象、海象について次のような見解を述べている(以下「久保田意見」という。)。

「〈書証番号略〉によると、室戸岬測候所風向・風速記録紙には、七月一二日午後一一時から一三日午前三時ころまでの四時間の間、風向北東ないし北北東、風速約一二メートルから一六メートルとする風が連吹しており、そのうち午前一時四〇分から午前三時ころまでの間の風速は一四メートルないし一六メートル(風力七)が記録されているが、午前六時ころは、風速は三メートル程度に落ちている。ところが、〈書証番号略〉によると、同月一三日午前三時ころ、徳島地方気象台では風向南南西、風速1.9メートル、和歌山地方気象台では風向東、風速1.5メートル、潮岬測候所では風向東北東、風速6.5メートルしか記録しておらず、本件事故当時、本件海域には局地的異常気象、海象が発生していたことが明らかである。

〈書証番号略〉(ビューフォート風力階級)によると、毎秒一四メートル以上の風速の場合、この風によって発生する波高は四メートル以上5.5メートルに達し、〈書証番号略〉によると、巡視船「みなべ」の船長北岡巍は、当日救助のため現場に向かった際の友ケ島水道を南下したのちの海域には、少なくともうねり階級三のうねり(南東からのもの)があったとしており、うねり三は、〈書証番号略〉(気象庁うねり階級表)によると波高二ないし四メートル未満となる。この波とうねりが重なった状態では波高が六ないし9.5メートルとなり、なち丸が強烈な衝撃を船底に受けるには十分な波浪である。更に、室戸岬沖には東方に約二ノットの速力で流れる暖流があり、北東方に流れる上げ潮の潮流もある。

したがって、当時、本件海域には、北北東の風力七の風による波高5.5メートルの波浪、南東からのうねり階級三による波高二ないし四メートルのうねり、東方向に流れる約二ノットの暖流、北東に流れる上げ潮による波が相重なって三角波を合成した可能性があり、これに船が乗り上げると次には急速に落下して船底を強打し亀裂が発生すると推測される。そして、亀裂の発生箇所はシーチェスト付近が最も可能性が高く、パイプライン、そのジョイント、キングストンバルブ弁筐蓋の取付けボルト、スタンチューブの可能性もある。

このように、本件事故は、局地的異常気象、海象により発生したスラミングが原因であると見られ、不可抗力海難である。」

久保田意見はこのようにいう。

(二) しかしながら、久保田意見の局地的異常気象、海象があったとする点には、次のような疑問がある。

(1) 久保田意見は、〈書証番号略〉のビューフォート風力階級を使用して、風速一四メートル以上の場合の波高を四ないし5.5メートルと算出しているが、〈書証番号略〉によると、ビューフォート風力階級は自船から風上側に一五〇海里以上の間海面が続いている場合に適用できるとの注意書きがあるのに、本件事故海域からは、北東ないし北北東には一五〇海里以上の海面は続いておらず、風速から波高を求める根拠に疑問があるうえ、政志船長が昭和五九年七月二四日に作成した〈書証番号略〉の沈没報告書には、天候は雨、風向は東、風速は一二ないし一三メートルくらい、波高は三ないし3.5メートルと記載されており、この波高は波全体の高さをいうものと考えられることに照らしても、久保田意見がいうような高さの合成波高があったことには疑問がある。

(2) 久保田意見は、合成波高を風浪とうねりの各波高を単純に加算して求めているが、〈書証番号略〉によると、合成波高を算出する基本公式は、風浪の波高の二乗とうねりの波高の二乗とを加え、これの平方根とするものであって、単純に合算するのは間違いであることが認められ、この点においても同人の波高に関する意見は採用できない。

(3) 〈書証番号略〉(弁護士照会に対する気象庁の回答)によると、七月一三日午前三時の室戸岬東二〇海里の海上は、風向は北、風力六(風速10.8メートル以上13.9メートル未満)、風浪二ないし2.5メートル、うねり約1.5メートルであり、同日午前三時から同四時までの間の同海域には強風注意報、波浪注意報、地方海上警報が発表されるような状況ではなかったことが認められ、前記合成波高を求める基本公式により当時の合成波高を求めると2.5ないし2.9メートルとなる。これは久保田意見と著しく異なっている。

(4) 〈書証番号略〉、当審証人宮部二朗の証言によると、宮部は、気象庁作成の地上天気図、外洋波浪図、株式会社ウェザーニューズ作成の地上天気図、室戸岬測候所作成の地上気象観測日原簿、海上保安庁水路部作成の海洋速報等を検討し、風浪は、風速、吹走距離、吹走時間によって決まることを前提として、ブレットシュナイダー相関図を採用したうえ、室戸岬測候所の観測所が二二〇メートルの高地にあることから、本件海域での風速は室戸岬測候所の観測値の0.8掛け(昭和五三年から昭和五五年にかけて神戸海洋気象台の観測船の調査で、室戸岬測候所と室戸岬周辺海域との風速比が0.8としたものがある。)とし、吹走距離を北東側四〇海里(本件事故海域から紀伊半島南西岸までの距離)とし、うねりの発生源を東方海上約二〇〇海里位置にある台風五号として推算した結果、同日午前三時の、室戸岬東方二〇海里の付近の海域における風向は北、平均風速は一〇メートル、風浪1.2メートル、うねりの高さ1.5メートル、合成波高は1.9メートル、最大波高は一〇〇波として合成波高の1.53倍の2.9メートルであると鑑定し、かかる条件の下では異常波が発生する可能性は少ないとしている。

(5) 〈書証番号略〉によると、本件事故の海域と近い距離にある陸地(〈書証番号略〉によると、本件事故現場のほぼ西北西二〇海里の地点)である高知県室戸市佐喜浜町の海上沖に設置された波浪計による波浪観測資料では、七月一三日午前〇時の有義波高(平均波高)は、1.42メートル、最大波高は2.00メートル、午前三時の有義波高は1.31メートル、最大波高は、2.00メートルであり、午前六時の有義波高は1.15メートル、最大波高は1.9メートルと記録されており、久保田意見のいうような波高は観測されていない。

(6) 〈書証番号略〉添付の外洋波浪図によると、同日午前九時の台風五号の等波高線では、本件海域の波高は二メートル未満であり、同時刻の二メートルの等波高線は前日午前九時の同等波高線よりも東側に移動しており、本件海域から遠ざかっている。

(7) 〈書証番号略〉によると、本件海域は三角波等不規則波が頻繁に発生する海域ではなく、当審証人久保田季廣も室戸岬沖でのスラミングの発生事例については聞いたことはないとしており、〈書証番号略〉によると、当時、本件海域をなち丸に先航していた慶山丸の船長新谷宗数も、当時海域は平穏であったと述べている。

(8) それに加えて、スラミングの発生するような大波が発生したと主張されるようになったのは、本件訴訟になってからであって、本件事故直後においては、当時本船を操舵していた政志船長も、熊本県天草郡龍ケ丘町長宛に提出した昭和五九年七月二四日付沈没報告書(〈書証番号略〉)において、「七月一三日午前〇時ころは次第に風雨が増すような状態であった。午前三時一〇分ころ、船体に強い衝撃を受け、航行を続行していたが、天候は雨で風向はE、風力は一二ないし一三メートルくらい、波高三ないし3.5メートルであった。」と述べており、また、同年九月三日付「なち丸沈没事故てん末」と題する書面(〈書証番号略〉)においては、「天候は、雨が降っているし、風も東の風が一二ないし一三メートル位あり、波の高さ三ないし3.5メートル、うねりも三ないし3.5メートルくらいであった。」と述べており、本件事故当時、久保田意見がいうような六メートルないし9.5メートルにもなる大波があったことを窺わせる供述はしていない。

(三) 右(二)のとおり、七月一三日午前三時ころスラミングの発生するような異常気象・海象があったと認めるのは困難であるところ、〈書証番号略〉及び当審証人川北裕一の証言によると、スラミングとは、「船舶が荒天時に波に向かって航走中に、船の縦揺れや上下動が激しくなって、船首が水面から浮き上がって、次の瞬間波浪面をたたき、船首船底に大きな衝撃、圧力を生じる現象」であると言われており、同証拠によると、(二)で指摘した点以外にも、スラミングが発生したとはたやすく考えられない次のような事情を認めることができる。

(1) スラミングは、軽荷状態や喫水の浅い場合のバラスト航海において発生する可能性が高く、スラミング防止のためには船の長さの五パーセント以上の喫水の保持が必要であるが、なち丸の場合は、船首と船尾との平均喫水が4.24メートルで満載喫水4.35メートルの97.5パーセントであり、なち丸の喫水は、平均喫水で船の長さ四九メートルの8.7パーセント、船首喫水だけでも7.8パーセントあり、スラミング発生領域外にある。

(2) スラミングは、船舶が波に向かって航走しているとき発生しやすく、満載状態でのスラミング発生確率は軽荷状態に比して相当低いうえ、船首より六〇度以上の角度で波を受けながら航走する場合にはスラミングの発生の可能性はまずないと考えられるところ、なち丸の針路は二三〇ないし二五〇度であり、波浪は風向と同じ北東ないし北北東からで進行方向は二〇二ないし二二五度であるから、なち丸は波浪を真横よりやや後方ないし船尾にかけて受けることになり、追い波に近い状態で航走しており、スラミング発生の可能性はほとんど考えられない。

うねりについても南東から受けており、なち丸の真横よりやや後方から受けており、気象庁の波浪観測記録にみられるとおり、うねりと風浪とが合成された波の有義周期も8.1秒あることから、風浪とうねりの向きの差による海面状態の混乱の可能性もほとんど考えられない。

(3) そのほかにも、波長と船の長さの比率と船速の関係において、船速がフルード数で0.188程度の場合はスラミング発生領域は、波長/船の長さの比率で0.7ないし1.2程度であるが、本件では、波長/船の長さの比率で2.04ないし2.57程度となって、スラミングの発生領域の上限を大きく上回っている。

(4) 自然界に存在する勾配のきつい波でも、波高―波長比は、せいぜい1対13(あるいは1対10)といわれており、全長四九メートルのなち丸程度の船が波により船底の一部を露出するためには、浮力と船体の重量とのつりあいの関係から、自然界に存在するといわれる波以上の勾配を要することになるから、一般になち丸程度の小型船にはスラミングの発生の可能性はないと言われている。

(5) なち丸と同程度の小型船舶で、不規則波によるスラミングの被害を受けたとされる喜登丸(全長53.20メートル)は、当時空船で喫水は船首1.15メートル、船尾2.65(満載喫水は3.9メートル)であったから、〈書証番号略〉の参考図1のスラミングの発生領域内にあり、波の出会い角も風浪、うねりとも方位六〇度以内で、スラミングの発生しやすい状況にあり、事故前には前部船底に波浪衝撃を受けながら航走しており、軽いスラミング、パンチングを受け続けている海面状況にあったのに対し、なち丸はほぼ満載喫水に近く、かつ前記(2)のとおりの追い波であり、海面状況もこれとは異なるから、同一に論じることはできない。

(6) また、控訴人の依頼に基づいてなち丸の船体運動と構造応答の検討をした大坪英臣教授は、「貨物一〇〇〇トンを船倉に平均に積んだなち丸の類似船を基準とすると、波高五メートル以下の波でスラミング(船底の一部が露出し、再突入するときに船底が受ける衝撃)が発生するのは、波高五メートル、波長五四メートルと波高五メートル、波長六〇メートルの場合のみであり、本件海域において推定される海象においては、基本的にスラミングは発生しない。三角波を含め、最大波高が五メートルを超え、波長が1.125L(Lは船の長さ)ないし1.25Lの波が生じたときに、はじめてスラミングを生じうる。ただし、これは向かい波の場合であって、本件のように追い波の場合はスラミングを生ずる可能性ははるかに少ない。しかも、スラミングにより生じうる曲げ応力は、静水モーメントを含めて高々6.8kgf/平方ミリメートルであり、せん断応力は5.5kgf/平方ミリメートルである。これは、なち丸の船体設計の基準となっている許容曲げ応力17.8kgf/平方ミリメートル及び許容せん断応力11.2kgf/平方ミリメートルと比べて非常に小さい。さらに、引っ張り破断応力は、スラミングが発生したと仮定したときの船底外板に発生する引っ張り応力の約六倍であることを考慮すると、スラミングによりクラックが発生したとは考えられない。」としている。

(四) まとめ

以上によると、一七日午前三時ころ、本件海域の波高は2.9メートル未満であったと認められるが、仮にこれより少し高かったとしても、〈書証番号略〉で政志船長が現認したと述べている三ないし3.5メートル程度の波しかなかったと認めるのが相当であり、気象・海象自体がスラミングを発生させる状況にはなかったといえるし、また、なち丸の喫水、進行方向、なち丸が船体に受けた波の方向、本件海域においてスラミングの発生事例が過去に存在しないこと等の事情から考えても、本件においてスラミングが発生したとの事実を認めるのは困難であるというほかはない。

被控訴人らは、本件海域においていわゆる五百波一波あるいは千波一波が発生した可能性があり、その場合の波高は、合成波高の1.75倍あるいは1.94倍にもなると主張し、〈書証番号略〉によると、最悪の条件で周期の異なる複数の波が干渉作用を起こした場合は、一発の大波が形成されることがあり、千波一波の場合は、波高が有義波高の1.94倍にもなることが認められるが、スラミングによる被害は船底強打であるから、船底外板に亀裂、折損、切断、破口、屈折等の破損がみられるのが通常である(〈書証番号略〉の資料八の喜登丸の事故でも船底に挫屈を生じていることが認められる。)ところ、なち丸には前記のとおり船底に破損箇所は何ら認められておらず、また、かかる大波によるスラミングは、船首が大きく持ち上げられたのち再び船首が急に落ちてゆき波に突っ込む状態であるから、船体が極めて激しい上下運動をするはずであるが、本件においては、政志船長も勝己一等機関士もそのような状況に気付いた旨の説明はしていない。これらの点から考えると、被控訴人らのいう五百波一波あるいは千波一波が発生したとは認められない。

また、政志船長は、「午前三時一〇分ころ、船首部から船尾にかけて椅子から転げ落ちる程度の強い衝撃を受けた。流木か波浪によるものと思った。」旨供述し(〈書証番号略〉、同人の原審証言)、勝己一等機関士も、「午前三時ころ、流木か大きな波が当たったような感じの『ドン』という音がした。」と供述しているが(〈書証番号略〉、同人の原審証言)、以上に認定、説示したとおり、本件海域がスラミングを発生する海象ではなかったこと、なち丸の積載状況、波の進行方向と船の進路等の関係からみてもスラミングが発生する可能性は少なく、船底に損傷もみられなかったこと、そして後記のとおり、乗組員全員の退船までの行動が不自然であることなどを総合すると、右各供述の真実性には疑問が拭い切れないところである。

2  フライホイールによる海水等の巻き上げについて

〈書証番号略〉、原審及び当審証人山本周一の証言によると、フライホイール(弾み車)は、主機による回転速度をできるだけ一定にするため、主機のクランク軸に取りつけられる慣性モーメントの大きな円板で、なち丸機関室船尾のメインフロアーの高さに軸受けをおいたものである。勝己一等機関士は、午前三時二〇分ころ機関室のフライホイールが水を巻き上げていた旨供述しているところ、そうであるとすると、少なくとも船底からフライホイールの下端までは水が溜まっていたことになるが、右各証拠によると、機関室底部からフライホイール下端までの高さは約六四センチメートルで、機関室におけるその高さまでの容積は一七ないし一八立方メートルであるから、午前三時一〇分ころに浸水が開始し三時二〇分ころにフライホイールが水を飛散させ始める状況になるためには、船底の破口部分から一分間に1.75立方メートルの量の海水が流入する必要があることになり、この流入量を前提とし、内外の水位の変化を考慮すると機関室は浸水開始から約三時間後には満水となって沈没していなければならないことになる。また、前記証拠によると、フライホイールの中心付近まで浸水の水位が上昇しフライホイールが垂直方向に水を巻き上げるためには、機関室底部から約一一〇センチメートルの高さまで海水が溜まることが必要であり、その容積は約三〇立方メートルあることになるが、なち丸が沈没に要した時間から推測される前記一3の破口面積約一六ないし一七平方センチメートルから流入する海水は、一〇分間で約5.9立方メートル(約六トン)であり、浸水開始後約一〇分間では到底フライホイールが垂直に水を巻き上げる状況になるとは考えられないことが認められる。

この点について、被控訴人らは、フライホイールが巻き上げた水は破口部分からの浸水だけではないとして、次のように主張する。すなわち、なち丸の積載した鉱炉灰は、梅雨期に野積みされていたために多量の水を含んでいたものであり、この水が船倉内の下方に移動し底部に溜まっていた可能性があり、これが船倉と機関室の仕切りである鉄板(バルクヘッド)部分のうち、船底衝撃により破損し開口した下側部分から機関室に入り込んだ可能性があると主張する。

しかしながら、右主張は、多分に推測によるものであるうえ、〈書証番号略〉によると、本件鉱炉灰の含有水分値は23.9ないし24.3パーセントで、流動水分値は24.8パーセントであり、鉱炉灰が流動水分値を超える水分を含んだときに、その水分が分離放出されるに至るところ、〈書証番号略〉、原審証人野口政志の証言によると、本件積荷の鉱炉灰は、野積みされていたものではなく、ダンプカーから直接船積みされており、横浜気象台の観測では、七月九日から同月一一日までの間は、降水量はほとんど記録されていないことが認められるから、通常の状態の鉱炉灰(流動水分値以下の含有水分値のもの)であったこと、また、〈書証番号略〉によると、本件積荷の鉱炉灰は水分含有率を積込み直前に検査しているが、水分含有率は約二〇パーセントで、比重は約1.6であり、輸送中に水分が分離する状況にはなかったことが認められ、これらの事実に照らし、本件積荷の鉱炉灰から被控訴人らのいうような大量の水分(ビルジ)が船底に溜まっていた可能性は少ないと考えられる。さらに、なち丸は昭和五九年四月に定期検査を受けており(〈書証番号略〉)、バルクヘッドの下部が発錆、腐食により強度不足となっていた可能性を想定することも実際的でなく、〈書証番号略〉によると、船底外板には損傷はなかったのであるから、船体内のバルクヘッドにのみ損傷を生ずることも考えにくい。また、〈書証番号略〉によると、勝己一等機関士は、一三日午前一時ころ、機関室において計器類を調べたのち、機関室の船底に少し溜まっていたビルジを油水分離器を約一五分程作動させて排出しており、そのときのビルジの排水量は九〇リットル程度であったと述べており、ビルジはその排出によってほぼなくなっていたと認められ、〈書証番号略〉によると、昭和五八年九月までなち丸の機関長をしていた新谷宗数は、一昼夜航行して機関室に溜まるビルジの量は約二〇〇リットルであると述べていることが認められることを考慮すると、フライホイールが水を巻き上げるのに必要な一七ないし三〇立方メートルの水量にするだけの大量のビルジが船倉からバルクヘッドの開口部を経て流入したとの主張も客観的な根拠に乏しいといわざるを得ない。

なお、被控訴人らは、海水取水口から機関室を通るパイプ類やスタンチューブ(船尾管)に損傷を生じてビルジが貯留した可能性も指摘するが、前記のように三か月前に定期検査を受けており、船底外板に損傷が生じていないことからして、これを認めるには足りない。

したがって、午前三時二〇分ころフライホイールによる水の巻き上げがあったとする勝己一等機関士の供述は信憑性に欠けることになり採用できず、結局、午前三時二〇分ころに機関室がそのような浸水状況にあったと認めることはできない。

3  主機の停止について

〈書証番号略〉、原審及び当審証人山本周一の証言によると、フライホイールが海水を巻き上げたとしても、フライホイールの軸心と同じ高さ(船底から1.25メートル)にメインフロアーがあり、メインフロアーとフライホイールの外周とは2.5センチメートルの間隙しかないから、飛散する海水は制限され、メインフロアーより上に吹き上げた水は、カムケース先端金具や過給機やその付属物に遮断されること、そして、仮にフライホイールが一分間で一〇〇リットルの水を巻き上げたとしても、カムケース先端金具に遮断された水、過給機に達しない水、過給機のフィルターに当たって落下する水を考慮した場合、過給機内浸水は最大毎分一〇リットルくらいで、これは過給機、インタークーラー、給気管に残り、シリンダー内にまでは入らない量であるため、主機が停止することはなく、また、仮に、何らかの事情で、過給機の空気吸入口付近に海水等があったとしても、過給機の空気吸入口はフィルターがかけられており、そのフィルターは網目状になっており、ここに海水がかかっても、その海水は、霧状態となって内部に吸入され、シリンダー内に入って主機を止めることはなく、シリンダー内に水が入って主機が停止するのは、過給機の下端まで海水が到達して直接水がシリンダー内に入る場合であること、また、海水がクランクケースに入るには船尾カバー(クランク軸の尾端オイルシール)からのみであるが、乗組員が主機が停止したと主張する時期は、水位が軸の下端付近で、カバーに油切りがあるから、主機の回転中海水がクランクケースに入ることはなく、潤滑油の汚濁により軸受が焼きつき主機が停止することはないことが認められる。

〈書証番号略〉によると、なち丸の元機関長であった新谷宗数は、海上保安部が昭和六〇年二月になち丸と同型の実験船を使用して施行した実験において、フライホイールの水の巻き上げでは主機は停止することはなく、主機関や過給機に直にホースで三〇分間にわたり水をかけても主機は停止しなかったことを確認している。

4  補機使用による浸水排除の可能性について

〈書証番号略〉によると、補機の発電機は機関室右舷側にメインフロアーから約三〇センチメートル上部の位置に設置されており、メインフロアーは船底から約一二五センチメートルの高さにあったから、補機の発電機が水没するまでには時間がかかるものであり、この間に補機による発電機を作動させれば、雑用水ポンプ及びビルジポンプにより浸水を排除することは困難ではなく、浸水を食い止めることのできる可能性のあったことが認められる。

また、〈書証番号略〉によると、なち丸には、①主機直結のベルトで発電する二〇キロワットの発電機(船尾の中段フロアー上にある。)、②補機直結の一〇キロワットの発電機、③非常時用のバッテリーによる二〇ボルトの電源供給があり、主機が停止し主機直結の発電機が停止したときは、直ちに自動的に非常用のバッテリー電源が供給されるようになっており、その場合には、主機左舷側前部の燃料ハンドル、補機付近上部、操舵室、その他船内のいくつかの箇所の灯がつくことになっていたことが認められ、主機が停止しても、補機を操作し、補機により雑用水ポンプ及びビルジポンプを作動させて浸水排除の措置をとることはできたことが窺える。

更に、主機が停止したとすると、フライホイールは回転しなくなるのであるから、仮に一時的にフライホイールが水を巻き上げる状態になっていたとしても、主機停止後は、機関室右舷中央部のフロアープレートのやや高い架台上にある補機の位置まで行き着くことに障害はなかったものと認められる。

5  乗組員の退船までの行動について

事故当時当直勤務についていた勝己一等機関士は、「一三日午前三時一〇分ころ計器類を確認するため機関室の入口まできたところ、機関室に下る階段のところでフライホイールが水を巻き上げていたので、沈没するのではないかと思い、機関長に『あぶない。逃げろ』と伝えた。政志船長に報告にいくため上甲板の階段を上ったあたりで停電し機関が停止した。政志船長に『機関室に海水が浸水して沈没するから逃げろ』といい、他の乗組員にも同じことを大声で叫んだのち、救命筏を降ろして退船した。」旨供述し(〈書証番号略〉、同人の原審証言)、また、政志船長は、「午前三時二五分か三〇分ころ、エンジンが停止したので、どうしたのかと思い、船橋から降りる階段のところまできたところ、勝己一等機関士が『先ほどの衝撃で機関室に浸水しているので危険だ。』と大声で叫んでいたので、衝撃を受けたときに船底が破損し、エンジンが止まるほどなら機関室には相当浸水しているに違いないと思い、沈没の危険を感じた。それで、直ちに全員に退船するよう指示し、三時四〇分ころ海上保安部に救助依頼の電話をして自分も救命筏に移った。」旨供述している(〈書証番号略〉、同人の原審証言)。

これらの供述のうち、フライホイールが水を巻き上げていたとの点が信用できないこと及び機関室船底にフライホイールが巻き上げるほどの海水やビルジがあったと認められないことは先に判示したとおりであるし、午前三時二五分か三〇分ころにエンジンが停止したとの点は、前記認定の破口面積及び浸水速度等からみて、その時刻に主機部分まで浸水が及んでいた可能性は少なく、その真実性に重大な疑問がある。また、主機が停止しても、非常時用のバッテリーによる二〇ボルトの電源供給があり、主機が停止し主機直結の発電機が停止したときは直ちに自動的に非常用のバッテリー電源が供給されるようになっており、その場合には、主機左舷側前部の燃料ハンドル、補機付近上部、操舵室、その他船内のいくつかの箇所の灯がつく構造となっていたのであり、また、船内に常備されている懐中電灯もあるから、主機が停止したからといって、補機の作動や排水措置をとることが不可能な状況になるわけではなかったことが窺える。

ところが、前記各供述その他の証拠(〈書証番号略〉、原審証人野口盛男)によっても、政志船長以下の乗組員は、勝己一等機関士から『機関室に浸水しているから沈没の危険がある』といわれただけで、全員が直ちに退船行動を開始しているのであり、事故発生から退船までの四〇分ほどの間に、だれひとり浸水箇所、浸水程度、浸水量等を具体的に確認しようとした者はおらず、また、排水措置を試みることによって沈没を避けることができないかどうかに意を用いた形跡も全くなく、浸水があればすぐにでも沈没必至であるかのごとき対応をしている。船員法一二条によると、船長は、自己の指揮する船舶に急迫した危険があるときは、人命の救助のみならず船舶の救助に必要な手段を尽くすべき義務があり、政志船長は当然そのことを認識していたはずであることを考えると、船舶幹部職員の行為として理解しがたいものであり、同人が過去において船舶衝突事故の際に退船が遅れたため弟ら二人を死亡させた経験を持つこと(〈書証番号略〉、同人の原審証言)を考慮しても、著しく不自然であるといわざるを得ない。

三故意海難の認定

以上のとおり、なち丸の船底外板には浸水の原因となるような損傷はなく、船底の海水取水口のうち一箇所から吸引があったのであるから、これが浸水箇所であったと認められる。そして、本件海域が当時スラミングを発生させるほどの異常気象・海象にあったとは認められず、機関室船底に浸水やビルジが溜まってフライホイールが水を巻き上げていたとの乗組員の供述は客観的事実に反しているというほかはなく、浸水開始から退船までの乗組員の措置ないし対応も不自然である。本件事故がスラミングによる不可抗力海難であることを裏付けるものとして被控訴人らから提出された証拠は、いずれも採用しがたいものである。

そして、被控訴人らの本件訴訟における主張の変遷をみると、原審では、本件事故の原因として、流木(サンク・ウッド)その他の浮流物あるいは国籍不明の潜水艦との接触による浸水の可能性をいい、そのいずれかは未だ明らかではない、としていたが(昭和六二年七月六日付準備書面)、控訴人から、船底外板の損傷がないことを指摘され、当審に至り、流木、潜水艦説を撤回し、衝撃の原因をスラミングと主張するようになった(平成四年三月一〇日付準備書面)こと、また、原審において、被控訴人らが、破口部分からの浸水による沈没であることを主張したのに対し、控訴人らが、破口面積から流入する海水のみでは浸水開始後一〇分で機関室船底にフライホイールが水を巻き上げるだけの浸水量には達しない旨の反論をすると(平成二年二月一日付準備書面)、被控訴人らは、初めて、船倉内の積荷から出た大量のビルジの問題に言及し、これが衝撃により破損したバルクヘッドの下部部分から機関室に流れ込んだと主張を展開するようになった(同月二三日付準備書面)ことが明らかであり、その主張の変遷は場当たり的であるとの観を免れない。

これらに加え、原判決む認定しているとおり、被控訴人会社は、いわゆる同族会社で、当時は勝己一等機関士が代表取締役であり、勝己名義で被控訴人組合から借り入れた資金は実際には被控訴人会社の借金であったこと、そして、本件事故当時は、右借入金の残金一億七五七〇万円について返済が遅滞しており、債権者の請求があれば期限の利益を失う状況にあったことなどの事実からすると、勝己や親族の乗組員らには、なち丸を沈没させて保険金の支払いを受けることに関して、十分な経済的動機があったと認めることができる(本件事故の発生は保険期間の満了直前である。)。

以上のすべての事情を総合して考えると、当時、本件海域に三メートル前後の波が存在していた可能性のあることや、乗組員が救命筏で漂流する危険性(ただし、本件海域は比較的船舶の往来の多いところであり、救命筏による漂流も海上保安部に対し遭難の通知をした後のものであり、陸地と二〇海里程度の距離であったこと、海象も次第に穏やかになりつつあったことからして、漂流の危険性が著しく高かったとはいえない。)等を考慮に入れても、本件事故は、なち丸の乗組員が保険金取得を目的として、自然災害による海難を装い、何らかの手段により人為的操作を加えて船底の海水取水口から浸水させ、沈没させたものである蓋然性が極めて高いといわなければならない。なち丸が沈没まで約九時間も漂流していた事実を重視して、右の人為的操作の蓋然性を否定するのは相当とはいいがたい。してみると、他に本件事故が自然災害により発生したものであることを窺わせるに足りる事情の認められない本件においては、本件事故は、なち丸の政志船長及び勝己一等機関士ら乗組員の故意により引き起こされた海難と認めるべきである。

政志船長が保険契約者である被控訴人会社の取締役であり、勝己一等機関士が当時被控訴人会社の代表取締役であったことは当事者間に争いがないから、本件事故は、約款三条六号及び七号に定める者の故意によって生じた事故に該当する。したがって、その他の点について判断するまでもなく、控訴人は免責される。

第五結論

以上のとおりであるから、被控訴人会社が本件保険金債権を取得したことを前提とする被控訴人組合及び被控訴人協会の参加請求はいずれも理由がないものとして棄却すべきである。

よって、原判決中これと異なる部分を取り消し、右被控訴人らの参加請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官淺生重機 裁判官杉山正士)

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